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東京高等裁判所 平成元年(ラ)537号 決定

抗告人 宮城由美子

相手方 宮城和彦

主文

原審判を取り消して、本件を千葉家庭裁判所に差し戻す。

理由

一  当事者の申立て及び主張

本件抗告の趣旨及び理由は、別紙1「即時抗告申立書」記載のとおりであり、これに対する相手方の答弁は、別紙2「答弁書」記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

1  抗告人は、別居中の夫婦間において、子を監護・養育を行っていない一方が、これを行っている他方に対し、その子との面接交渉を求める権利を認める法規は存在せず、このような場合について家事審判法9条1項乙類4号を類推する余地はない、との主張をする。しかし、少なくとも夫婦が事実上の離婚状態にある場合には、子の監護のために必要な事項を家庭裁判所が関与して定める必要性において、離婚している場合と変わるところはなく、子の福祉のためにも民法766条を類推適用すべきであり、したがって、子を監護する者に対して、その子との面接交渉を求めたが、協議が調わないときには、家庭裁判所の審判を求めることができると解すべきである。したがって、抗告人の右主張は採用しがたい。

2  しかし、一方の監護下にある子を、他方と面接させることは、常に子の福祉に適うものとはかぎらず、特に、事実上の離婚状態にあり、離婚訴訟で係争中の夫婦間においては、離婚後における以上に、面接を子の福祉に適う形態で実施させること自体に困難があり、しかも、その面接が子の情緒的安定に影響するところは大きいものとみなければならない。したがって、事実上の離婚状態に至った経緯、別居期間、別居後の相互の関係、子の年齢等の諸般の事情を慎重に考慮して、当該時点における面接を許すべきかどうか、それを許すべきであるとしても、いかなる形態における面接を許すべきかを、面接を求める親の側の事情よりも子の側の事情を重視した上で、判断すべきである。

3  そして、記録によれば、本件については次のとおりの事実が認められる。

〈1〉  相手方(昭和22年6月12日生)と抗告人(昭和26年9月28日生)とは、昭和59年11月24日に婚姻届出をした夫婦であり、昭和61年4月9日に長男哲也が出生した。

〈2〉  相手方は商事会社営業担当社員、抗告人は公立中学校の国語担当の教員であり、婚姻当初は相手方の肩書住所地にある相手方の実家で、その両親と同居し、昭和61年11月相手方名義で抗告人肩書住所地のマンションを購入して、転居し、夫婦と子とで生活するようになったものであるが、相手方と抗告人とは、婚姻当初から性格の不一致や相手方の母親との関係等が原因となって争いが絶えなかったが、昭和62年6月、長男哲也が病気の際に、相手方が飲酒して深夜に帰宅したことから、両者間で口論となった挙句、相手方が前記実家に泊まった事件をきっかけとして、夫婦仲は一層悪化し、相手方は、しばしば実家に泊まるようになり、同年9月13日以降は、完全に実家で暮らすようになって、以来、別居状態が継続している。

〈3〉  相手方は、別居状態になった直後の同月15日に千葉家庭裁判所に夫婦関係調整の家事調停を申立て、その期日において、双方とも離婚自体には異存がないことが確認されたが、財産分与や子の問題で課整がつかず、右調停は昭和63年1月28日不成立に終わった。そこで、相手方は、同年4月、千葉地方裁判所に、婚姻を継続しがたい重大な事由があるとして離婚訴訟を提起し、これに対し、抗告人も、同年9月、離婚を求める反訴を提起し、現在、係争中である。右訴訟において、相手方は、抗告人の自己中心的な性格とそれによる身勝手な言動が婚姻関係破綻の原因であり、哲也の親権者としても不適格である、と主張しており、これに対し、抗告人は、相手方が異常なほど母親に依存的で、家事、育児等の家庭生活の維持について非協調的であったことが婚姻関係破綻の原因であり、相手方は真に哲也のためを思って親権者の指定を求めているのではない、と主張している。

〈4〉  相手方は、昭和63年4月に保育園を突然訪れ、在園する哲也に面会して写真を撮ったりしたが、哲也は、相手方が父親であることをすぐには思い出せなかった。また、相手方は、別居以後その時までは、抗告人に対して哲也との面接を求めたことはなく、また、この時以後も、哲也と会ったことはなかった。ところが、相手方は、昭和63年10月28日に、本件面接調停を申立て、平成元年2月9日右調停は不成立となった。

〈5〉  本件審判手続において、相手方は、週1回程度の哲也との面接を求めているのに対し、抗告人は、相手方と面接させることは、やっと精神的に安定してきた哲也をいたずらに動揺させることになるとして、強く反対している。

4  3に認定した事実によれば、相手方と抗告人の婚姻関係は、当初から安定したものではなく、すでに完全に破綻しているとみざるをえず、また、哲也の監護についても、相互の信頼は全く失われているとみるべきである。そして、相手方が別居した昭和62年9月時点では、哲也は1歳5か月であり、その後、相手方が本件面接調停の申立てをした昭和63年10月までの1年以上の間、相手方が哲也と会ったのは、前記保育園で短時間の面会をしたときだけである。そして、この間、哲也は、抗告人の下で生育され、一応安定した生活を送ってきたが、相手方に関する情報は全く与えられなかったものと推認される。このような状況の下で、幼齢(本件調停申立時・2歳6か月、現時点で3歳9か月)の哲也を相手方と面接させるには、現に哲也を監護する抗告人が協力することが不可欠であるが、前記のとおり、哲也の監護に関しても相互の信頼関係は全く失われ、抗告人は面接自体に強硬に反対している現状にあり、それを期待することは困難である。

したがって、哲也が父親(相手方)についての認識を欠いている現状を改善したいとの相手方の心情は理解しうるところであり、また、相手方が哲也の監護を行えなくなった事情(別居に至った事情)については、相手方に同情すべきところがあるとしても、その面接は、哲也の精神的安定に多大の悪影響を及ぼすものとみるべきであり、子の福祉を損なうおそれが強いと判断される。そうであれば、現時点での面接は、子の福祉をはかるために、これを許さないことを相当とする余地があり、また、仮に面接を許すとしても、子の福祉を極力損うことがないようにするため家庭裁判所調査官等を関与させる等の配慮が必要であると判断される。

三  結論

以上によれば、抗告人に対し、このような配慮をすることなく、予め相手方の指定した日に3時間以上、相手方を哲也に面接させることを命じた原審判は、失当といわざるをえないから、これを取り消し、さらに審理を尽くさせるため、本件を千葉家庭裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 吉井直昭 裁判官 小林克巳 河邉義典)

別紙1 即時抗告申立書

東京高等裁判所御中

平成元年9月1日

申立人代理人

弁護士 ○○

添付書類

申立人・相手方の戸籍謄本(追完)

委任状 1通

本籍 東京都台東区○○×丁目××番

住所 千葉県船橋市○○×丁目×番×-××号

抗告人 宮城由美子

昭和26年9月28日生(教員)

本籍 抗告人と同じ

住所 東京都台東区○○×丁目××番××号

相手方 宮城和彦

昭和22年6月12日生(会社員)

上記当事者間の千葉家庭裁判所平成元年(家)第140号子との面接交渉申立事件につき、同裁判所が平成元年8月14日にした「相手方は平成元年9月以降申立人と相手方との間の離婚訴訟が終了するに至るまで、毎月第1及び第3土曜日並びに第2及び第4日曜日のうち予め申立人が指定する日に、申立人の指定する場所において、各3時間以上の時間申立人を申立人と相手方との間の長男宮城哲也に面接させなければならない」。との審判に対し即時抗告を申立てる。

抗告の趣旨

原審判を取り消し、本件申立を棄却する

との裁判を求める。

抗告の理由

1 相手方の本件申立は何等の法的根拠をもたないものであり、これを是認した原審審判も法的根拠のないものであるから原審判は取消され、本件申立は棄却されるべきものである。

すなわち、

抗告人と相手方は昭和62年9月13日より別居中であり、抗告人が実子宮城哲也を事実上監護しているものである。相手方は上記子供の監護・養育の一切を放棄して実家に帰ってしまっているものである。法は別居中の一方が他方に対し、そのものが監護・養育している当事者間の子供についての面接交渉権を認めていない。これは夫婦別居という紛争過程において両親の協調的な親権行使が期待できない状況下において、監護・養育の任にあたっていない一方の面接交渉権を認めることは徒らに紛争をその間の子供にまで拡大・深刻化する危険があるという観点からこれを制限しているものと解される。しかも、事実上の監護者である一方当事者の養育・監護に大きな障害をもたらすことも明白である。離婚前の別居的紛争の場合とすでに離婚によって紛争関係が終了している場合とでは全くその利害状況及び社会的問題状況を異にするものである。したがって、離婚後の親権者又は監護者でない親の子との面接交渉を認めるか否かの問題とこの場合のそれとを同日に論じ、これが民法第766条1項又は2項の問題であるからといって、本件事案について同条及び家事審判法第9条第1項4号を類推するという見解は許されないものと解すべきである。

2 仮に、然らざるとしても以下の理由からも本件申立は認められないものである。相手方は同居生活の時から子供の養育及び監護に全く関心がなく、上記哲也は出生後現在まで専ら抗告人によって監護・養育されてきたものである。本件別居から離婚紛争へという経緯の主要な原因は病弱な子供(哲也)に対する相手方の日常生活上の配慮の欠落にあったことは明白である。相手方は別居後も子供に全く関心を示さず、離婚調停では子供の養育は抗告人に委せることを前提に専ら離婚(財産)給付問題にあった。上記調停不調後相手方からはしばらくの間子供についてなにもなかったが、相手方が離婚の訴えを提起することになって俄かに抗告人にかくれるようにして子供に接近し写真撮影を試みるなどするようになった。写真撮影という異常行動からも知れるように相手方の上記所為は上記離婚本案訴訟を少しでも有利にしようとする意図によるためのものであることは明白である。したがって、相手方の本件申立は訴訟戦術的なものであり、真に子供の福祉を考えたものではない。

さらに、上記哲也(昭和61年4月9日生)は3歳に達したばかりであり、現在の年齢などからいって抗告人が将来にわたって相当長期の間監護・養育する見込が高いものであるから、その将来の監護・養育をより円満且つ健全なものにするには現時点の相手方の面接交渉を認めることは適切ではないと解するのが相当である。

原審は以下2点で本件申立を相当としているが、これは事実誤認ないし法的評価を誤ったものとして採用することはできない。

1) 原審は本件別居を専ら抗告人が居宅のドアにチェーンをかけて相手方を排除し、哲也との交渉を切断したとしているが、これは相手方のいい分のみを聞いた一方的な事実認定であり、事実誤認である。抗告人と相手方とはいわゆる別居以前から不仲が続き、相手方は自室にテレビ・寝具などを一方的に持ち込んで抗告人・哲也との交渉を断ち切るような生活を続けてきたものである。別居状態になるのは時間の問題という状況であった。このような生活状況にあったところ、昭和62年6月1日抗告人は哲也の容体が悪かったので相手方に早目に帰宅することを求めていた。しかるに相手方はこれを知りながらさしたる用事もないのに深夜まで友人と飲酒を愉しみ、年前3時頃帰宅した。これ自体異常な行動であるが、抗告人はその間ひとりで哲也を病院へ連れていったり看護したりしてその心細さと相手方に対する無責任さと失望、怒り、不安、悲しさなどに耐えていたが、相手方の深夜帰宅でその感情が一気に爆発し、相手方に強い抗議をしたというものである。抗告人はこの時ドアチェーンをかけたのではなく、相手方が申立人の怒りに押されて実家に帰ってしまったということに過ぎない。その後相手方はこの点について全く反省もなく、双方とも次第に離婚へとその意思が傾いていったものである(現在では離婚意思について一致している)。

その後、相手方が抗告人の居所に入ろうとしたのは夫婦関係・親子関係を本当に修復しようとするものではなく、このまま別居状態が続くと別居の直接原因が相手方にあるため自己名義の居宅を抗告人に取られるなど不利な離婚を強いられてしまうことをおそれたからである。これは相手方が自己の家庭人としての無責任な行為について何等の反省をすることなく、また抗告人を慰撫するようなこともなく、自己の責任を有耶無耶にして従前と同じく同居内別居のような生活をくりかえそうとしていたことからも明白である。したがって、抗告人が相手方の一方的な入居を拒んだのは当然のことであり、これをもって抗告人が故えなく相手方と子供との接触を断わったとみなすことはできない。

2) 原審は哲也に相手方が父親であることを知らせることが哲也の福祉に合致する。という観点からその面接交渉が認められるとする。

原審は哲也に父親を知らせるということと、子との面接交渉を認めるべきか否かという問題を同視しているが、これは余りにも短絡的な考えといわざるを得ない。両親間において離婚をめぐり利害及び感情が激しく対立している現状のなかで、哲也の父親を知らせるために相手方の面接を認めることは相手方ないしは抗告人及びその周辺関係人らの言動などによって哲也に歪んだ人格形成を与えてしまう危険が認められる。哲也に父親を知らせるのをどの時点にしたらよいか慎重に判断しなければならない問題であるが、離婚紛争状態は必ずしも長く続くものではないからこの終結時とするのが妥当ではなかろうかと信じる。

原審のように哲也の年齢をみて、この時点が相当であるとみなすことは必ずしも正当であるとはいえない。逆に母親との生活環境に慣れ、母親依存度の高い時点で父親との面接を認めることは同人の精神作用を著しく混乱させてしまう危険が大きいものと考える。

原審は本件面接を認めることが「子の福祉」に適うものと判断しているが、両親の対立状況ないし子供の年齢及び将来における抗告人の監護・養育の有効適切な実施などの観点から本件時点において相手方に面接交渉を認めることは妥当なものではないと解するのが相当である。

よって、原審の審判はいずれも理由のないものであるから、取り消され、本件申立は棄却されるべきものである。

別紙2

平成元年(ラ)第537号

答弁書

抗告人 宮城由美子

相手方 宮城和彦

上記事件につき、相手方は次のとおり答弁する。

平成元年11月6日

相手方代理人弁護士 ○○

同 ○○

東京高等裁判所御中

第1抗告の趣旨に対する答弁

本件抗告を棄却するとの裁判を求める。

第2抗告の理由に対する認否

1 抗告の理由第1項中、抗告人と相手方が昭和62年9月13日より別居中であること及び抗告人が実子宮城哲也を事実上監護していることは認め、相手方が子供の監護・養育の一切を放棄して実家に帰っているとの点は否認し、その余は争う。

判例は、「別居中の夫婦間における子の監護に関する事項については・当事者間に協議が調わず、協議することができないときは、民法766条、家事審判法9条1項乙類4号を類推適用して家事審判の対象となし得る」(大阪高裁昭和46.4.12家月24- 1-51)とされており、子の監護に関する事項には、当然、子供に対する面接交渉も含まれている。

2 同2項中、哲也(昭和61年4月9日生)が3歳に達していること及び原審事実認定を認め、その余は否認ないし争う。

第3相手方の主張

1 相手方の主張は、原審に提出した、昭和63年4月18日付訴状、昭和63年9月19日付準備書面(原告・1)及び相手方の同日付陳述書に述べているとおりであり、本裁判においてもこれを援用するが、その要旨は、次のとおりである。

〈1〉 抗告人と相手方は、いわば性格の不一致で、結婚当初以来相当頻繁に言争いを繰返してきた。

〈2〉 抗告人は、相手方の亡父(昭和61年5月6日死亡)の葬式及び49日の法事に出席しないなどの無理を通し、相手方を「バカハゲ」、相手方の母を「教養がない、ガラが悪い」と呼ぶなど見下げた態度をとり、また、相手方が居宅であるマンションに戻るというなら「浅草の実家はやくざでも使って居られない様にする」といって脅迫するなど、総じて気が強く、自己中心的な性格を有している。

〈3〉 相手方は、婚姻中、できる限りの生活費を抗告人に渡してきたほか、朝は子供の保育園への送りをし、夜は7時ごろには帰宅をして、湯上がりの子供にミルクを飲ませるなど、日常生活も家庭を大切にして精一杯努力していた。

〈4〉 相手方は、昭和61年6月ころ、抗告人と寝室を別にしたが、これは相手方が目覚しがないと朝会社に間に合うように起床できないため、抗告人や子供に迷惑をかけないよう慮って実行したものである。

〈5〉 抗告人と相手方間においては、昭和62年2月ころから、いわゆる夫婦の営みがなくなったが、これは、抗告人が相手方の寝ている部屋が汚いとか臭いとかと言って拒否するようになったからである。

〈6〉 相手方は、昭和62年6月初旬ころ、結婚以来はじめて午前3時に帰宅した。相手方は、普段は大体夜7時ころ帰宅しており、これより遅くなるときはいつも抗告人に対し、その旨電話連絡をしていた。この日、相手方は、出勤後、友人であるA氏から、同氏の仕事上のことで協力を依頼されたため、抗告人に夕方5時ごろ電話をし、少し遅くなる旨伝えた。その仕事が終ってから飲酒となり、これがたまたま遅くなって午前3時の帰宅となったものである。たしかに相手方は、上記電話の際、子供が風邪をひいている旨抗告人から連絡を受けていたことでもあり、午前3時に帰宅したことは心に緩みがあったと批判されても仕方がないが、それにしても、入室を拒否する抗告人の態度も異常である。

〈7〉 その後4、5日して、相手方は、居宅であるマンションに戻ったが、抗告人がマンションのドアにチェーンをかけ、相手方の帰宅を拒否するようになったため、調停申立のため千葉家裁の指導により、昭和62年9月13日、やむなく抗告人と別居することとなった。

〈8〉 昭和62年9月に申立をした夫婦関係調整調停事件〔千葉家庭裁判所昭和62年(家イ)第726号〕において、相手方は、「財産分与は、マンションを売って値上がりした分から諸経費を差し引いて半分づつに分ける」との提案を行ったが、子供の養育を抗告人に委せると言ったことはない。

〈9〉 前記マンションは、相手方が亡父の遺産2、000万円と勤務先からのローン700万円の合計2、700万円で購入したものであり、相手方の固有財産である。

〈10〉 抗告人は、昭和62年11月ころ、前記マンションの鍵を相手方に無断で変更し、その合鍵も渡さず、相手方の入室を完全に拒否し、子供との面会も許さない。

〈11〉 相手方は、抗告人に対し、暴力を振ったことは一度もない。

2 なお、若干の点を付言する。

〈1〉 相手方は、昭和63年4月ころ、子供の2歳の誕生祝いとして、ぬいぐるみを送ったが、抗告人が受け取らず、送り返された。その後、相手方は、子供に会いたい気持から、保育園へ行き、子供の写真をとった。このことは、父親としての自然の気持の流露であり、批難されるべき筋合ではない。なお、このとき、相手方は、後記〈4〉で述べるような、抗告人の実弟を父親と呼ばせている事実は知らなかった。

〈2〉 相手方が、子供に対する面会を抑制していたのは、昭和62年10月ころ、抗告人の父親からの「私が間に立ってなんとかする。それまで抗告人に対し電話をしないで欲しい。子供に会うのも控えて欲しい」との要請を尊重してきたためである。

〈3〉 相手方は、昭和62年10月ころから、電話の内容をテープに残すこととしたが、これは、このころ抗告人の父親から相手方や相手方の母に頻繁に電話があり、その内容がときどき変ることから、証拠保全のため行ったものである。

〈4〉 抗告人は、平成元年7月10日、原審における裁判官審尋の際、相手方の子供に対する面接を拒否する理由の一つとして、「子供が抗告人の実弟をパパと呼んでいる。現在子供は安定しており、動揺させたくない」旨述べた。これは、原審が判示するとおり、極めて異常であり、かかる状況を是正せず、むしろその異常さを感じないで当然視している抗告人の態度に相手方は唖然とした。

〈5〉 原審認定のとおり、相手方が子供と面会した場合、精神状態の安定が損われるおそれがあるのは、子供ではなく、抗告人である。これは、財産をより多く取得したいとの動機で相手方を非難する抗告人こそが自己の感情と子供の福祉を別に考えられない人物であることを端的に示すものである。

〈6〉 相手方は、離婚訴訟〔千葉地方裁判所昭和63年(タ)第40号〕の早期終結を望んでいる。

しかし、抗告人は、離婚には同意しながら、相手方の固有財産であるマンション(昭和61年10月時点での購入価格で金2、700万円したもの)を財産分与せよとの法外の主張をして延々と争っている。かかる状況の中で、相手方の子供に対する面接交渉を「本訴終結時」まで待てというのは、あまりに自己中心的であり、非常識と言わざるを得ない。

なお、原審が正当に認定しているとおり、抗告人は、真実の父でない者を父と呼ばせるなど、子供の養育・監護者としても問題があり、相手方において、早急に、子供に対する実質的な監護・養育が可能となる状況を準備する必要がある。

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